秦基博 - 鱗(うろこ)
作詞: 秦基博
作曲: 秦基博
少し伸びた前髪を かき上げた その先に見えた「将稍长的浏海向后梳 然后看见了」
緑がかった君の瞳に 映り込んだ 僕は魚「染上绿色的你的瞳眸中映照著 我是鱼」
いろんな言い訳で 着飾って 仕方ないと笑っていた「以各种的藉口武装自己 笑著说没有办法」
傷付くよりは まだ その方がいいように思えて「比起受到伤害 我以为这样会比较好吧」
夏の風が 君をどこか 遠くへと 奪っていく「夏日薰风将你夺走 至不知名的远方」
言い出せずにいた想いを ねぇ 届けなくちゃ「一直没有说出口的心意 就再也无法传达」
君を失いたくないんだ「我实在不想失去你」
君に今 会いたいんだ 会いに行くよ「现在好想见你 我要去见你了」
たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても「嘿 就算再如何的痛楚向我袭卷而来」
鱗のように 身にまとったものは捨てて「我会舍弃那些 如鳞一般附著在身上的东西」
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ「朝你游去 朝有你的所在 我便心满意足」
季節の変り目は 曖昧で 気づいたら すぐ過ぎ去ってしまうよ「季节的变化从来暧昧 察觉时已然逝去」
まだ何ひとつも 君に伝えきれてないのに「明明还没能向你诉尽衷曲」
夏の風に 君を呼ぶ 渇いた声 消されぬように「对著夏日薰风呼唤你 祈愿我的嘶喊不被消弭」
あふれそうな この想いを もう ちぎれそうなくらい「将这几乎要满溢的情感 柔肠寸断地」
叫んでみるんだ「声声呐喊」
君に今 伝えたくて 歌ってるよ「现在 我以这首歌向你诉说」
たとえ どんな明日が ほら 待っていても「嘿 就算再如何的未来在等著我」
鱗のように 身にまとったものは捨てて「我会舍弃那些 如鳞一般附著在身上的东西」
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ「朝你游去 朝有你的所在 我便心满意足」
君に今 会いたいんだ 会いに行くよ「现在好想见你 我要去见你了」
たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても「嘿 就算再如何的痛楚向我袭卷而来」
鱗のように 身にまとったものは捨てて「我会舍弃那些 如鳞一般附著在身上的东西」
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ「朝你游去 朝有你的所在 我便心满意足」
下面放一点私心:
1.翻译源于虾米的yesired。老实说不确定是初翻,在别人的乐评里看到小秦的小组似乎有初翻,但找了半天没找到,所以用的这个版本。
2.说来也真是奇妙,最近1周iTunes显示uroko的播放数是241(顺便记录下von的播放数128)把自己都吓了一跳。
3.听uroko完全是因为「四月」的所有番宣CM均没有披露鹅屋的新曲,而是把今年2月的翻唱录了一遍来当BGM(鹅屋2月上传到Youtube的翻唱uroko在线地址:https://www.youtube.com/watch?v=w8e_e6FMRmk&list=UUFDL0NuxUBAvvu1PnIwW2ww)因为Kei桑的声音属于柔情系,加上Sayako姐的第一段唱得超级“痛不欲生”,听完后我整个人都快要肝肠寸断了。CM的主要画面都是阴暗系(虽然这歌像kousei对kawori的感情,但如果画面插入的是tsubaki最后一场棒球赛那段名场面估计也会相当心塞),加上唱的是「たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても/鱗のように 身にまとったものは捨てて/泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ」这三句,仿佛非要我直面那个动不动会说出peanuts台词的kawori的死亡ending一样(这大概不算剧透)。虽说天才往往是没有可以依赖的人的,但如果kousei在成名之路上真把kawori克死了,我也不是没有给作者寄刀片的念头。一边泪目一边等着明年春天完结T T
作曲: 秦基博
少し伸びた前髪を かき上げた その先に見えた「将稍长的浏海向后梳 然后看见了」
緑がかった君の瞳に 映り込んだ 僕は魚「染上绿色的你的瞳眸中映照著 我是鱼」
いろんな言い訳で 着飾って 仕方ないと笑っていた「以各种的藉口武装自己 笑著说没有办法」
傷付くよりは まだ その方がいいように思えて「比起受到伤害 我以为这样会比较好吧」
夏の風が 君をどこか 遠くへと 奪っていく「夏日薰风将你夺走 至不知名的远方」
言い出せずにいた想いを ねぇ 届けなくちゃ「一直没有说出口的心意 就再也无法传达」
君を失いたくないんだ「我实在不想失去你」
君に今 会いたいんだ 会いに行くよ「现在好想见你 我要去见你了」
たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても「嘿 就算再如何的痛楚向我袭卷而来」
鱗のように 身にまとったものは捨てて「我会舍弃那些 如鳞一般附著在身上的东西」
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ「朝你游去 朝有你的所在 我便心满意足」
季節の変り目は 曖昧で 気づいたら すぐ過ぎ去ってしまうよ「季节的变化从来暧昧 察觉时已然逝去」
まだ何ひとつも 君に伝えきれてないのに「明明还没能向你诉尽衷曲」
夏の風に 君を呼ぶ 渇いた声 消されぬように「对著夏日薰风呼唤你 祈愿我的嘶喊不被消弭」
あふれそうな この想いを もう ちぎれそうなくらい「将这几乎要满溢的情感 柔肠寸断地」
叫んでみるんだ「声声呐喊」
君に今 伝えたくて 歌ってるよ「现在 我以这首歌向你诉说」
たとえ どんな明日が ほら 待っていても「嘿 就算再如何的未来在等著我」
鱗のように 身にまとったものは捨てて「我会舍弃那些 如鳞一般附著在身上的东西」
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ「朝你游去 朝有你的所在 我便心满意足」
君に今 会いたいんだ 会いに行くよ「现在好想见你 我要去见你了」
たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても「嘿 就算再如何的痛楚向我袭卷而来」
鱗のように 身にまとったものは捨てて「我会舍弃那些 如鳞一般附著在身上的东西」
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ「朝你游去 朝有你的所在 我便心满意足」
下面放一点私心:
1.翻译源于虾米的yesired。老实说不确定是初翻,在别人的乐评里看到小秦的小组似乎有初翻,但找了半天没找到,所以用的这个版本。
2.说来也真是奇妙,最近1周iTunes显示uroko的播放数是241(顺便记录下von的播放数128)把自己都吓了一跳。
3.听uroko完全是因为「四月」的所有番宣CM均没有披露鹅屋的新曲,而是把今年2月的翻唱录了一遍来当BGM(鹅屋2月上传到Youtube的翻唱uroko在线地址:https://www.youtube.com/watch?v=w8e_e6FMRmk&list=UUFDL0NuxUBAvvu1PnIwW2ww)因为Kei桑的声音属于柔情系,加上Sayako姐的第一段唱得超级“痛不欲生”,听完后我整个人都快要肝肠寸断了。CM的主要画面都是阴暗系(虽然这歌像kousei对kawori的感情,但如果画面插入的是tsubaki最后一场棒球赛那段名场面估计也会相当心塞),加上唱的是「たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても/鱗のように 身にまとったものは捨てて/泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ」这三句,仿佛非要我直面那个动不动会说出peanuts台词的kawori的死亡ending一样(这大概不算剧透)。虽说天才往往是没有可以依赖的人的,但如果kousei在成名之路上真把kawori克死了,我也不是没有给作者寄刀片的念头。一边泪目一边等着明年春天完结T T